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会社を設立した経緯
私が会社の設立を固く決意したのは、大学1年の時に自転車で日本を一周した際に様々な方の優しさにふれて深く感銘し、日本人が生き生きとして、何か問題が発生しても幸せに生きていける社会のインフラを作りたいと思うようになったことがきっかけです。
自転車で日本を一周する前は、受験勉強で引きこもり、空手など個人行動を取るスポーツを高校時代にしているだけでしたので、余り人と触れ合うことも好きではなく、大きな夢を持つのはおこがましいと思っていました。
しかし、テレビ番組で旅をしている方を見て、私もこのように旅に出て、世の中を知りたいと感じました。そこで思ったことは早めに行動したほうが良いということで、一週間後に出発を決意しました。 そして、自転車を所持してませんでしたので4万円の自転車を購入し、自転車用のリュック、服を取り揃え、テント、中学生時代に使用していた地図帳を持って出発しました。
思いつきで旅行計画を決めてしまったので、所持金を5万円程度しかもっておらず、ホテルなどには泊まらず全て野宿をして生活をしていきました。 想像以上に、公園のベンチ、駅のベンチ、河原、道路の橋の下、森林等と、非常に寝心地が悪かったです。公園のベンチは、アベックがうるさく、また不審者と間違われて警察に通報され、暴走族に囲まれたりしました。駅のベンチは電車の音がうるさく、乗降者から冷たい視線を注がれました。河原、道路の橋の下は、アスファルトが非常に痛く、トラックの騒音で目が覚めることが多かったです。森林など寝ると、蚊、蟻、害虫などが寝ている時に寝袋の中に入り込んでよく目が冷めました。台風があった時などは特に最悪で、せっかく洗った洋服が全てぬれ、寝袋に雨がしみこむのを耐えながら寝ました。
食生活においては、最初は豪華にコンビニで弁当を購入していたのですが、次第にお金が無くなり、朝食に100円の4個入りのアンパン、お昼に100円の4個入りのクリームパン、夜に100円の4個入りのチョコレートパン、またはカップラーメン、半額の弁当で済ませ、そして山の中に入って湧き水をペットボトルに入れて、生活して行きました。 旅をしていくにつれ、公園で過ごすコツも捉え、雨が降っても屋根があり、飲み水、服を洗う水があり、車の音がうるさくない立地を抑えていこうという意識が生まれました。 そのような立地を抑えていくうちに、良い立地の公園は、既に生活している方々がいると分かってきましたので、敵対心を抱かれないよう礼儀を持って挨拶をしていきました。
いつものように公園で寝ようとした際、公園で過ごしている方が、体が痩せこけ、髭が生え、汚らしい格好をしていた私の身を案じて下さいました。その方が、自分のために「食べ物を拾ってきてあげようか? 弁当、廃棄物からプリンなど取って来ようか?」と言って下さり、お金が無い見ず知らずの自分のために、そのような言葉を掛けていただけることが、衝撃的でした。自分は、公園に住んでいる方と話したことが無く、恥ずかしながら軽蔑した意識も一部もありました。
しかし、そう言った方が私を温かく受け入れて下さり、食事まで捜してくれると仰るのです。それはまさに天使のような言葉でした。
それから、一人一人には、様々な人生があり、「必死に生きているのだな」と感じるようになりました。また、彼らから常に聞かされたのは、公園などに住むことになってしまった理由や背景で、そこには「若い時に遊びすぎた、お金を使いすぎた」という、後悔の念が滲んでいました。
また、ギャンブルや夜遊びに手を出して、借金をしてしまった。 体が思うように動かなく、貯金がなくなってしまった。 事業で失敗、または騙されてしまった。 子供と生活していたが捨てられて貯蓄が無くなってしまった……などの言葉もありました。公園で過ごしている方々のそれら一つ一つの言葉が、私に強くのしかかりました。
一緒に生活すると彼らは心は純粋で、皆非常に性格が良かったです。ただ生活習慣、自分のお金を管理する能力の欠如、危機管理の無さ、学習する能力の僅かな不足があるだけでした。また、そのことについて後々苦労してしまった話をお伺いし、「彼らを助けたい……。彼らが幸せに生活が出来るインフラ作りをしたい……」と強く感じたのです。
社会のインフラを作る際、政治家・公務員を目指す、社会インフラ作っている企業に勤めると言う手段も感じたのですが、自分が思ったことを実行に移し、人のせいにせず、自己責任を貫く一番の手段としては、会社を設立するしかないと感じました。そこで、まずは学生団体を作り、次に会社を設立させました。